子どもたちの「創造的な学び」実現に向けて大切なこと 後編
MITメディアラボ教授
ミッチェル・レズニック

教育用プログラミング環境として広く使われている「Scratch(スクラッチ)」の開発を率いるのが、米MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ教授のミッチェル・レズニック氏である。CANVAS理事長の石戸奈々子が2018年8月に渡米した際、急遽インタビューを実施、子どもたちの「創造的な学び」の実現に向けて大切なことをお話しいただいた。そのインタビューを前編、後編の2回にわけてお届けする。

目次

    後編

  • 理想的な学びの場の実現に向けて
  • プログラミング教育のあり方

理想的な学びの場の実現に向けて

石戸

初めてMITメディアラボを訪れた時、その環境に感銘を受けました。オープンでデザイン性の高い空間。ひらめいたらすぐにつくれるワークプレイス(作業場)。多様で深い専門性のコミュニティ。学び合い教え合うフラットな関係。多様性に対して寛容で、常に非常識なことに挑戦し続けるスピリット。新しい価値をつくり出すことに最大限の賞賛の言葉を送るポリシー。そこには理想的な学びの場があるように思いました。改めてMITメディアラボというのはどのような学びの場なのでしょうか?

レズニック

ここMITメディアラボの学びの設計も、子どもたちと一緒に取り組むときと同じく、(前編で紹介した)「4つのP」の原則に則っています。つまり、プロジェクト(Project)、情熱(Passion)、仲間(Peers)、遊び(Play)を重視しています。

メディアラボを見て回ると、常に学生と研究者がプレイフルな精神を持って、仲間と協力しながら情熱的にプロジェクトに取り組んでいる姿を見ることができます。

建物は、プロジェクトを協同で推進できるように、広いオープンスペースでなりたっています。そして他の人の活動を知ることができるようにガラス張りの空間となっています。4つのPを実現する環境をつくっているのです。これらの4原則もまた幼稚園で子どもたちが学ぶ方法からインスパイアされています。幼稚園での子どもたちの活動は4つのPから始まっています。そのため、メディアラボは大きな幼稚園と言えるでしょう。もちろん私たちはフィンガーペイントや積み木は使わずに、レーザーカッターやマイコンといった先端技術を使います。しかし、スピリットやアプローチは幼稚園と同じです。プレイフルな精神にもとづき情熱・協働の上でプロジェクトを推進しているのです。

石戸

世界中の国々が今、教育改革に取り組み始めています。その動きをどう捉えていますか?

レズニック

そうした国々が、現状の教育システムの限界に気づき始めているのは事実でしょう。現代社会に適応するために変化が必要だと考える人は増えてきています。しかし、彼らの大部分は4つのPに沿ったアプローチをとっていません。学校はこれまでの方法に強く固執しており、変化することはとても難しいと感じます。変化することに対する抵抗が大きく、1世紀近くにわたって教育は変化してきませんでした。そして、多くの国々やその産業界が、変化を願う発言をしていますが、具体的に変化につながる行動を起こしていないと思います。

変化することは簡単ではありません。しかし、重要な変化を起こすことこそが、子どもたちが次の社会の準備をするための唯一の方法なのです。

石戸

そういう国などへのアドバイスはありますか?

レズニック

最初にすべきは教育の目標(ゴール)をきちんと定めることだと思います。みなが異なる目標を持っていると、とるべきアプローチやメソッドの合意は困難です。私は一番重要なゴールは、子どもたちが創造的思考者になることをサポートすることだと考えています。しかしそれが教育の重要な目標であると一般的に受け入れられているわけではありません。その合意をとることがまず必要です。

最近では「STEM教育(注:科学・技術・工学・数学に関する教育)」という言葉で表されるような新しい技術を学ぶ教育に注目が集まっています。しかしながら、単にサイエンスの概念を学ぶだけの教育と捉えられているようです。それが悪いこととは言いませんが、本当に子どもたちが将来生きるための準備になっているのでしょうか?

私は、「子どもたちの将来の鍵は創造的に考え行動する力なのだ」と、きちんと社会に認識されるよう尽力したいのです。その上で学校を、「創造的に考え行動する力が育まれる場」に変えなければなりません。目標の合意がとれてはじめて、その方法について意味のある議論ができるのです。具体的に私は、4つのPを提唱しています。もちろん、他の方法でもよいでしょう。しかし、まだ目標の合意が得られる状況にも至っていません。

プログラミング教育のあり方

石戸

プログラミング教育はその変化の一助となりえるでしょうか?

レズニック

私は、プログラミングが学校に取り入れられることに、とても興奮しています。正しく導入されるならば、子どもたちが創造的思考者になることを支援できるからです。しかし多くの人は、子どもたちを将来のコンピュータ科学者、従業員としてのプログラマーになる訓練として、プログラミングを学校に導入しようとしています。もちろん、コンピュータ科学者やプログラマーとして働く人材に対する需要はとても高いです。当然ですが、プロのプログラマーを育むことも重要です。

しかしそれは、一部の人材のためであり、すべての人のためではありません。私にとってのプログラミングを導入する理由は、人々が書くことを学ぶ理由と同じです。学校では、書くことをプロのライターや小説家になるために学んでいるわけではありません。私たちは自分自身がアイデアを整理し、表現し、共有するために学んでいるのです。プログラミングも同じです。私は正しい方法でプログラミングを学校に導入したいのです。

石戸

世界中でプログラミング教育の推進が広がるにつれて、「構築主義」(コンストラクションニズム)への注目も集まっているのではないでしょうか?

レズニック

改めて構築主義を考えるきっかけとなっているのであれば、とてもよいことだと思います。最近では、たしかに子どもたちがプログラミングを学ぶことを支援する場が増えています。しかし、それらの多くは構築主義的な方法をとってはいません。多くの場は、単にコンピュータ科学の概念を学ぶことを助けているにすぎません。そのような場では、(自由にものづくりが行えるプログラミングではなく、穴埋め問題を解いて答えを得る)「パズル」が提供されています。そのパズルを通じて特定の概念を学ぶことはできるでしょう。しかしそれは単に他の誰かが提示したパズルを解いては次の問題に進んでいるにすぎません。

当然のことながらこれはシーモア・パパートの言う構築主義アプローチではありません。子どもたちにやってもらいたいことは、ただ問題を解くのではなく、自ら問題を見つけ、やりたいことを定義し、プロジェクトを推進していくことです。誰かが与えた問題を解くことを望んでいるわけではありません。しかし、学校では、長年にわたって、子どもたちに問題を提示し、子どもたちが順番にその問題を解いていくという形式がとられてきました。構築主義的アプローチでは、子どもたち自身がプロジェクトを構築します。自らのアイデアをもとに子どもたちが新しいプロジェクトを組み立てるのです。これこそが、私が学校にプログラミングを導入するにあたって採用したい方法です。

もしプログラミングが間違った方法で学校に導入されると、子どもにプログラミングが拒否される結果になるのではないかと心配しています。それは言語やライティングの導入と似ています。多くの学校において言語とライティングは、スペリング、文法、句読点を教えるという形で導入されています。もちろんスペルや文法、句読点を知っていることはとても便利なことであり、それを学ぶのは悪いことではありません。しかし、そこに重点が置かれすぎています。結果として子どもたちは書かなくなってしまいます。

私は、言語やライティングというのは自分自身を表現し、自分自身のアイデアを伝えるために導入すべきだと思っています。スペルや文法や句読点はその方法にすぎません。自分自身の表現方法を学ぶことが最も重要なのです。それはコーディングも同じです。最近のコーディングは、どこに句読点を打つかといったことと同じく、単なる特定の概念だけを教えられていて、どうやって自分自身を表現するのかということが軽視されています。だからこそ、私は言語やライティングと同じように、自分自身のアイデアを生み、共有し、表現するかを学ぶ方法として、コーディングを導入したいと考えているのです。

石戸

構築主義に基づいたプログラミング教育を広げるためにはどうすればよいと考えていますか?

レズニック

それこそが、私がScratch(スクラッチ)言語を開発した理由です。私たち(MITメディアラボ)はScratchというプログラミング言語とそのオンラインコミュニティをつくることで、構築主義的アプローチをサポートしているのです。

Scratchは、プログラムをつくり、すぐに実験し、変更し、修正し、適用することが簡単にできるようにつくられています。それが構築主義的アプローチです。そして、そこにはオンラインコミュニティもあります。子どもたちは自分がつくったものを他の人と共有し、フィードバック(反応、反響)やアドバイスを得て、周りの友だちに励まされています。構築主義的アプローチをサポートするためには、私たちがScratchで採用しているような方法が効果的です。もちろんScratchだけが唯一の方法というわけではありませんが、Scratchの価値はそこにあるのです。

石戸

改めてミッチさんにとってScratchとはなんですか?

レズニック

ある人はScratchをプログラミング言語だと思っています。もちろんそれは間違いではありません。優れたプログラミング言語であってほしいと思っています。実験し、探求するのに適した言語であってほしいと思っています。

同時に、Scratchはコミュニティでもあります。みんなが自分のアイデアを共有する場、ともに学ぶ場です。つくったものを共有し、インスピレーション(ひらめき)やフォードバックや励ましを得る場なのです。

さらに私たちは、Scratchを子どもたちが情熱を持って仲間と協同しながら、プレイフルな精神とともにプロジェクトベースで学ぶ方法であると考えています。私たちはScratchを単に効率的にプログラミングを実施するために設計したわけではありません。そうではなく、創造的に体系的に考え、共同することを学ぶ、つまり、創造的な学びの4つのPを通じて子どもたちの学習をサポートするために設計したのです。それこそが次の社会を生きるすべての人に必要なスキルだと考えるからです。

だから、Scratchはプログラミング言語であり、コミュニティであり、さらには同時に学びのアプローチでもあるのです。

石戸

Scratchでは、コミュニティをとても大事にされていますね。コミュニティの役割をどう捉えていますか?

レズニック

コミュニティはいくつかの役割を持っています。1つはインスピレーションを提供する役割です。他の人がつくっていることや取り組んでいることを見ることで、影響を受け、学ぶことができます。同時に、コミュニティはオーディエンス(聴衆)でもあります。つくったものを他の人と共有し、他の人が自分のつくったものを使ってくれるというのは嬉しいことです。他の人がフィードバックや提案をくれると、さらに新たなアイデアを思いつくことができます。そして、なによりも他の人から励まされモチベーション(動機)を保つことができるのです。だからコミュニティは、インスピレーション、モチベーション、フィードバックをくれる場だと言えるでしょう。

石戸

Scratchでは、シーモア・パパート氏が主張する「低い床、高い天井」という理念に、「広い壁」を追加しました。その意図を教えてください。

レズニック

これは私のメンターであるシーモア・パパートの「低い床」と「高い天井」という考え方を拡張したものです。新しい技術や活動を開発する際に、初めて取り組む人のハードルを下げる「低い床」と、その人たちが、何度も挑戦し、より複雑なことができるようになるための「高い天井」を用意することが必要です。しかし、私は活動を推進する中でもう1つの大事な視点に気づきました。子どもたちは各々違う学びの経路をつくっていくということです。もし1つの方法だけで低い床と高い天井を与えたとしても、それが機能する子もいれば、機能しない子もいるでしょう。だからこそ「広い壁」という、様々なやり方、言い換えれば複数の経路の提供という、もう1つの考え方が重要なのです。

この「広い壁」という概念は、我々は多様な選択肢に対してオープンであり寛容でなければならないということを意味しています。なぜなら子どもは各々違う興味を持ち、異なる方法を選択します。私たちは、子どもたちが低い床から高い天井まで、各々の興味とやり方に沿ったたくさんの異なる方法で進めることができるような環境を用意しなければなりません。

「広い壁」は異なる複数の学習の道なのです。だから私たちは学びのための多様な技術や活動や空間をデザインしています。子どもたちには自分たちが夢中になる多様な方法があるということを知っています。だからScratchは、何か特定のゲームをつくるために開発したわけではありません。子どもたちはゲームをつくり、物語をつくり、アニメーションをつくります。違う子どもが違う種類のものをつくることを支援する。それこそがScratchが提供する「広い壁」なのです。

石戸

プログラミング教育の浸透するに伴い、Scratchのユーザー数が急増しているのではないかと思います。現在のユーザー数はどのくらいでしょうか?

レズニック

ユーザー数は数え方によって答えが変わります。ウェブサイトに来た人、つまりユニークユーザーは、昨年は2億人でした。そのうち10%の人、つまり2000万人はプロジェクトをつくっています。しかしすべての人が作成したプロジェクトをコミュニティに共有しているわけではありません。昨年生まれた2000万のプロジェクトはシェアされたもののみということになります。今では毎日3万の新しいプロジェクトがオンラインコミュニティで共有されています。おそらく20万くらいのプロジェクトがオフラインでつくられ、共有されていないと思います。ですから数十万のプロジェクトが毎日生まれ、そのうち3万が共有されています。

石戸

Scratchの哲学が広がっていると感じますか?

レズニック

少なくとも技術は広がっているといえるでしょう。そして子どもたちと話をすると、その哲学が広がっていることを確信します。なぜなら私たちはその教育的アプローチ、哲学を伝えるために活動をしているからです。しかしすべての人がその方法を取り入れているわけではありません。私たちは教育的方法の哲学と一緒にScratchを広げないといけないと思っています。それこそが私の今の大きな挑戦です。技術が広がるのは簡単ですが、哲学が広がるのはとても難しいのです。

石戸

ミッチさんにとって「学び」とはなんでしょうか?

レズニック

私にとって学びとは、物事を理解し、モノをつくり、行動をするために、自分の力を拡張し続ける力を育むことです。学びは私に世界を新しい方法で理解することを助け、新しい方法でモノをつくることを助けてくれるものです。

石戸

最後に、日本ではプログラミングの教科ができるのではなく、算数や国語など他の教科の中でプログラミングを学ぶことが必修となりました。その導入の方法についてどう考えますか?

レズニック

私たちはコーディングを学び、学ぶためにコーディングをするといっています。私たちはコーディングの過程でたくさんのことを学ぶことができると考えています。つまりコーディングを通じて学ぶべきであり、コーディングを学ぶのではありません。だから日本の導入の考え方に賛同します。しかし、コーディングを通じて数学のコンセプトを学ぶことにフォーカスしがちであることに気をつけないといけません。

たしかにコーディングは数学の概念を学ぶのにとても便利です。しかし私は、コーディングは、アイデアを表現し、アイデアを共有し、アイデアを発表するための方法として使われるべきだと考えています。それが、とてもとても大事なことです。

問題解決にコーディングを使おうとすることはよくあります。もちろん、問題解決はとても大事なことです。しかし、コーディングは単なる問題解決のための手段ではありません。そうではなく、表現し、コミュニケーションするための方法なのです。問題解決と合わせて、ぜひ表現・コミュニケーションの方法であることも大事にしてほしいと思います。

石戸

日本の先生方にメッセージをいただけますか?

レズニック

プログラミングを、コンピュータ科学を学ぶためだけの方法と考えないでほしいです。プログラミングは、子どもたちが自分のアイデアを整理し、表現し、共有する方法です。書くことを学ぶのと同じように、自分自身を表現し、コミュニケーションをとる新しい方法なのです。それが最も重要なポイントです。

もしプログラミングが適切に導入されたら、新しい問題解決と思考方法を、プログラミングを通じて学ぶことができます。自分の考えを開発し、自分自身の声を育み、自分のアイデンティティ(個性)を開発する手段となります。そして、自分自身を新しい方法で表現し、アイデアを伝えることを学びます。プログラミングはアイデンティティを確立することに寄与するのです。自分自身を新しい技術で何かをつくりだすことができる人物と捉えることができるようになります。単に、ネットで視聴し、検索し、チャットをしている人になるのではなく、今日のデジタル社会に積極的に貢献できる参加者であると思えるようになるのです。