コンピュータサイエンス教育こそが大切です
米国本社マイクロソフトコーポレーション
YouthSpark 総責任者
Yvonne Thomas

「コンピュータサイエンスに対する誤解をぬぐい去らなくてはいけない」。このように強調するのは、米マイクロソフトコーポレーションのYvonne Thomas(イボンヌ・トマス)氏。トマス氏はマイクロソフトが全世界で展開している「YouthSpark」の総責任者です。YouthSparkとは若者の機会創出を支援する取り組みで、日本ではICT(情報通信技術) の利活用促進やスキル習得機会の提供を通じて、特に機会の限られる若者の進学・就労・起業を支援する活動として行われています。
日本マイクロソフトはNPO法人CANVASに対して、2016年度より「Programming for ALL」プロジェクトを助成しています。本プロジェクトの目的は、子供たちのプログラミング学習機会を増やすこと。CANVASは学校や地域での指導者研修会、実証事業やワークショップを通じて、多様な層への学習機会の提供モデルを確立する活動に取り組んできました。 Programming for ALLの成果報告会(関連記事はこちら)に向けて来日したトマス氏に、米国を中心とした海外におけるICT教育の現状について聞きました。

執筆:高下義弘=ライター

目次

  • 地域のリーダーがカギを握る
  • 企業はあくまで「示す姿勢」で
  • 何を目標にするのか、それによって評価軸は変わる
  • コンピュータサイエンス教育にまつわる偏見を取り除く
  • 日本は他者から学ぶ姿勢を持っている
石戸

米マイクロソフトは全世界で、子供や若者向けのコンピュータ教育支援を展開しています。特筆すべき海外の事例を教えてください。

トマス

特徴的なのは、多くの国がコンピュータサイエンス教育に国家レベルで取り組もうというケースが増えていることです。自治体レベルや地域レベルの取り組みも増えています。

一つの例がドイツです。こちらは州レベル、いわば草の根から国家レベルに上げていくという“下”からのアプローチで進んでいます。また同じ欧州では、フランスがコンピュータサイエンスを初等教育や中等教育に取り入れようとしています。

「突拍子もなく」というのはネガティブな言葉にも思えるかもしれないですが、本当にゼロから何か新しいものをクリエイトするにはそういう側面が必要になります。ゼロからクリエイトする力は、生まれたときは同じようにみんな持っているはず。だけど、日本の今の教育のままだと、その力がだんだん減ってしまっていくような気がしています。だから、先生の持っている一つの答えを言い当てるとか、親が期待してる一つの答えを言い当てるとか、そういう方向づけはできるだけ減らしていきたい。

またラテンアメリカの国では、若者向け施策や教育政策を担当する省庁が、コンピュータサイエンス教育をどのように教養課程に組み込んでいくのかという政策方針について、議論を活発に展開しています。

石戸

海外の事例を踏まえて、コンピュータサイエンス教育を導入する上で、成功のポイントを教えていただけますか。

トマス

国によってアプローチは異なりますが、うまく導入するためのポイントとしては次のようなものが挙げられます。まず、国としてコンピュータ分野の教育で何を達成したいのか、子供が何歳の時には何ができるようにしたいのか、という目標を明確にします。そこからトレーニングの方法を組み立てて、教師の育成を含めた学校の仕組みに入れていくというプロセスを踏みます。

私たちのパートナー団体である非営利活動団体Code.org(コード・ドット・オルグ)では、州などの自治体レベルや、地域レベルにおける導入ステップを支援しています。

地域のリーダーがカギを握る

トマス

また重要なのが、地域のリーダーによる強力なリーダーシップです。米国の北東部にロードアイランドという州があります。こちらの州知事が非常に勇敢なスタンスをとっていまして、州内にいる全生徒に対してコンピュータサイエンス教育を提供していきたいという方針を打ち出しました。この州ではその目標を達成するための果敢な計画を策定しました。

この知事は、コンピュータサイエンス教育がもたらす機会や可能性をしっかりと把握しています。若者がこの教育を学んだら、地域に住む若者のキャリアが大きく開かれるのと同時に、地域の経済が飛躍的に発展し、地域に強い経済圏が生まれるであろうことを理解しているのです。

もちろんそのような理想型ができてくるのはだいぶ先のことかもしれません。しかしこの知事は、実現するには今の時点から若者への教育に取り組むことがとても重要であることを認識し、決断しました。

石戸

自治体の首長や議員といった、地域の政策を担うキーパーソンによるリーダーシップが非常に効果的ということですね。コンピュータサイエンス教育に対してそれほど関心のない地域のリーダー層に対しては、どのような説得法が考えられるでしょうか。

トマス

それについても、米国で取り組んできた例が参考になるかと思います。1つ目は、リーダーというよりまずは生徒たちに対してアプローチするやり方です。

まず、生徒および若者たちに、「なぜコンピュータサイエンス教育が自分たちにとって重要なのか」を理解してもらいます。大人が直接リーダーたちに若者へのコンピュータサイエンス教育の重要性を訴えたとしても、実は影響度はそれほど高くありません。それよりも、若者自身が発信をすることです。若者が発信をすればするほど、リーダー層に声が届きます。なので、若者に対して、若者自身がコンピュータサイエンス教育の重要度を理解し、若者同士で体験を共有する場を用意することが、リーダーたちの考え方を変えていく上で効果的といえるでしょう。

それから、リーダー自身が、コンピュータサイエンス教育を体験することがとても重要です。それを一度でも体験すれば、議論の場に参加しやすくなります。又、リーダーが抱いている「知らないことをするのは恥ずかしい」といった気持ちを拭い去ることができます。 一方、体験していないと、なぜそれを支援しなければいけないのかを理解するのは困難です。

最後のポイントとしては、しっかりとした根拠に基づく話をすることです。コンピュータサイエンス教育を若者に提供することで、若者の可能性拡大や社会の豊かさにつながる。このような話を、データを交えて説明していくことがとても重要です。

この話をする際には、企業や産業界の適切な関与もあるといいでしょう。例えばIT業界で重要な位置を占めている企業が、「コンピュータ分野のこういったスキルを備えた若者がいれば、当社としても積極的に雇用します」という話をすれば、地域のリーダーも納得しやすいと思います。

石戸

オバマ前米大統領がSTEM(科学・技術・工学・数学教育の総称)に力を入れると発表した際、当初その中にコンピュータサイエンスが入っていなかったという話が気になりました。

トマス

コンピュータサイエンスは、ほかのSTEMに比べるとやはり新しい学問分野です。ですので、入っていなかったこと自体は、私たちにとってそれほど驚きではありませんでした。それでも私たちから働きかけるように動くということが大事なのだと痛感しています。米マイクロソフトとしても、この政策決定やトレーニングの提供に向けて尽力しました。

石戸

コンピュータサイエンス教育もSTEM関連の一環として実行できるようになった今、米国ではどのくらいの州がコンピュータサイエンス教育を実施しているのでしょうか。

トマス

米国は50州あり、国のレベルで政策について合意ができたとしても、州それぞれで合意がないと実行されません。5年前は13州が選択科目としてコンピュータサイエンスを設けていました。この時点では、卒業の単位としては認められていませんでした。しかし今は33州がコンピュータサイエンス教育に取り組み始めています。この33州は、コンピュータサイエンス分野の科目が、数学もしくは科学の単位として取得できるようになります。つまり、卒業に向けての単位の一つとして取得できる格好です。ただ、ここで申し上げている内容は、あくまでも政策に変更が加わったという話なので、まだ実際の教育プログラムは決まっていません。

卒業の単位にカウントされないということであれば、生徒としてもコンピュータサイエンスを取得するインセンティブがないということになってしまいます。まずここに単位認定することで各州の取り組みが進んでいます。

石戸

小学校教育については。

トマス

州レベルで変化が起きると、まず高校で何をすべきかを決めます。それを決めてから、だんだんと中学、小学校課程を組むという流れになります。

石戸

マイクロソフトのエンジニアが発端となり米国で展開している「TEALS(ティールズ)」を興味深く思い、日本でも転用しようと考えています。(こちらの記事を参照)。このような例は他国でもありますか。

トマス

こちらは米国だからこそ起きていると言っていいと思います。今約400社の企業からエンジニアがボランティアとして参加していただいています。

ボランティアになっているエンジニアの方々は、教育の仕方を知りません。そのため、まず教師として高校に行く前に、高校で教えることについて学びます。一人年間400時間強をこのTEALSのボランティアに投じることになります。この400時間にはトレーニングを受講する時間から、実際に教えるところまでの時間全てが含まれています。このトレーニング自体、大学で管理されているカリキュラムに則って行うことになります。非常に質の高いものになっています。

企業はあくまで「示す姿勢」で

石戸

日本の場合、これまで民間企業が学校教育に関わることに対して、必ずしも好意的ではなかったと思います。企業はどのように関与すればよいでしょうか。

トマス

どこの国でも、企業が教育界に対して「これをやれ、あれをやれ」と関与するのはやはり歓迎されないでしょう。私は突き詰めていくと、純粋な需要と供給の論理があるだけだと思います。「産業界ではこういった人材が求められていて、そのような人材がいるとこのように企業は発展し、産業が成長する」というシンプルなことを説明するだけなのだと思います。例えば米マイクロソフトも「当社としてはどういった人材像が必要であるか」「こういった人材は積極的に雇用します」ということを業界全体で発信しています。これは、IT業界に限ったことではありません。

人材が伸びるためには教育が欠かせないわけですから、いかに産業界と教育界で良好なパートナーシップを組むかを考えていく必要があります。

何を目標にするのか、それによって評価軸は変わる

石戸

新しい教育を導入するにあたり、「その教育効果はどれほどなのか」という根拠について説明を求められる傾向があるかと思います。海外ではコンピュータサイエンス教育の効果についての議論はどのように進められているのでしょうか。

トマス

国によってそれぞれです。例えば英国だとコンピュータサイエンス※の重要な一側面であるコンピューテーショナル・シンキングに主軸を置いており、この教育効果をどのように評価するかという議論を進めています。最終的には、その国がどのような教育目標を掲げているのかを明確にして、それに基づいた標準や枠組み、カリキュラム作り、そして教師のトレーニングプログラムを組むということに尽きます。

※コンピューテーショナル・シンキングとは、コンピュータに意図通りの処理を実行させて目標を達成するための思考法を指す。この思考法はコンピュータにソフトウエアを実装する以外にも、日常やビジネスシーンにおける問題解決などに応用できる。

石戸

さきほどのプレゼンにおいて、論理的思考力などをあげていましたがコンピュータサイエンス教育の目的としてそれらの抽象度が高いスキルについてはその重要度が指摘されながらも、教育効果について定量的な評価をするのが難しく、結果として教育プログラムの導入に対する議論が曖昧になる傾向があるように思います。この点はどのように乗り越えればよいのでしょうか。

トマス

いまはまだ明確な答えはありません。英国ではまだ取り組みが本格化して間もないので、今後いろいろな議論が出てくると思います。重要なのは、いきなり完璧を求めず、試行錯誤しながらも産官学が連携して議論を行う姿勢ではないでしょうか。

実際のところ、コンピュータサイエンス教育に携わっている全員が同じ悩みを抱えており、同じ立ち位置にいます。ですから、自分たちの取り組みを世界に共有したがっています。コンピュータサイエンス教育は極めて新しい分野であり、新しい取り組みを進めているので、とても難しい状況に直面することも多々あります。だからこそ、継続していくには、取り組みから得られた知見を共有することが大事なのではないかと思います。

コンピュータサイエンス教育にまつわる偏見を取り除く

石戸

これからの課題は。

トマス

やはりコンピュータサイエンス教育に対する偏見を取り除くというのが大きな課題です。全ての子供たちに「これは自分たちのためにあるのだ」と理解してもらう。また親には「自分の子供がコンピュータサイエンスを学ぶことで、よりよいキャリアパスにつながるのだ」ということに確信を持っていただく。或いは、政府の方々には、「これは国として重要なテーマである」と認識していただく。理解が醸成されれば、物事がよりスムーズに、豊かな方向性に進むのだろうと思っています。

また、コンピュータサイエンスとは一体何なのかということに対する誤解も取り除くべきです。「デバイスの前でずっと座っていることがコンピュータサイエンスである」というふうに思われています。学問であるコンピュータサイエンスと、実行させるための手段であるコーディングは違うのだということを明確にしなければいけません。教師やご両親にはこのことを混同している方が多いです。

コンピュータサイエンスとは誰のためのものなのか、ということに対する誤解もあります。私はベトナムでコンピュータサイエンスを学ぶ女性の大学生に会いました。彼女らはとても優秀であるにもかかわらず、「私たちはこの世界にいてよいのだろうかと疑問に思っている」とのことでした。大学のクラスでは男性ばかりで女性たちはほんの数人しかおらず、女性たちは自分たちの居場所がないと感じています。

また教師たちは自分たちにはコンピュータサイエンスは教えられない、準備ができていないと不安に感じておられる方が多くいらっしゃいます。こんな具合に、コンピュータサイエンスに対するステレオタイプができてしまっています。これも取り除いていく必要があります。

日本は他者から学ぶ姿勢を持っている

石戸

日本における状況をどう見ていますか。

トマス

非常によい進捗ではないかという印象を受けました。日本では何が機能するのかという点について特によく理解されていますし、また関係者は皆さんが、積極的に共有し、他国からも学ぼうという意欲を持っていらっしゃる。

コンピュータサイエンスは、日本はもちろん、「第四次産業革命」という世界の進む方向性においても価値のあるものだと信じています。私たちマイクロソフトは、今後も継続的に、全ての子供たちの可能性拡大のために、そして第四次産業革命が進む中で、誰も取り残される事の無いように、支援をしていきます。

石戸

CANVASもコンピュータという新しいツールを使って、子供たち自身が未来を開拓していく学びの場を創っていきたいと考えております。今日はありがとうございました。